投資家カラマの人生変革日記
極度のコミュ障カラマが新卒で入った東証一部上場企業の設計開発職で鬱病を発症。無職、フリーター期間を経てビルメンに転職するも退職。専業投資家を目指すブログです。
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免許を取った後、考えたのですが当時は実家から職場まで1時間30~40分くらいかかりましたからそれを理由として、一人暮らしすることにします。

大学もそれくらいかかっていたのですが、ネットなど見ると社会人になると大変という話はいくらでもありましたからね。

引っ越しをした後、いよいよ初めて出勤することになります。最初は研修でしたけど、この時も必要なことがあっても恥ずかしかったり自分から話すことがほとんどできませんでした。

同期も話しかけられたりしましたが、何も言えませんでした。そういう訳でいきなり誰とも話せない状況が確定しました。

この時は、学生とは違って少し勇気があれば入れたかもしれませんでしたね。学生は少し勇気をもって話ても孤立していたでしょうが。

でも、何か就職というものに対して本気になれなかった部分もありました。あとはこれからの自分の進路に対して、怖かったということですね。

それから1週間でOJTに入りましたが、この時は胸がはち切れそうな恐ろしいほどの緊張でした。それでしたが、入ってみると意外にも周囲は優しいし、残業漬けなどということもありません。

この会社は入社半年くらいは基本残業させないんですね。やることはそんなに難しいこともありませんでした。入ったらなんか勉強しなくてはと空回りしていた自分としては、ちょっと拍子抜けでした。

でもこの頃勉強などもせず、社会人としてのリズムをつけるなどと言われていたもののそんなに大変でもなく、むしろダレるようになった面もありました。

会社までは15分で行けたので、慣れてくると17時過ぎから色々できることが分かります。大学では遠距離で何もできなかったのにそういう意味でも楽になりました。

でもこの頃は、ゲームやったり自転車を使って遊んだりくらいでしたね。週末は実家に行っていたので金も遊びはほとんどしていなかったので、ほとんどかからず、この頃は年100万くらい貯金できていました。

2005年3月に行ったのは手コキでしたが、5月に初めて花びら回転のピンサロに行きます。この時はネットで調べていて、前回ほどの緊張はなかったかな。

まあ以前書いたように行こうと決めてからは緊張しっぱなしで、2~3日はオナニー我慢すると眠らなくなるほどでした。

次に8月にヘルスに行ったのでちょっと変化があります。この人はこの日が初めてということだったそうで、慣れてないし挙動なども可愛くて恋をしてしまいます。初めての客だから相手も覚えているだろうなと淡い期待もあって。

でもこの後10月頃だったかに行ったら、忘れられていて会ってから、「そうだ思い出した。全く話さなかった人だ。」と言われてがっかりしました。

次回は2年目以降から自己改革する手前くらいまで書く予定です。
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前回から時間が空いてしまいましたが、続きを思い出していきます。

例の助手ですが、授業期間中は週に2回、夕方から別の学年の実験の手伝いでいなくなるので、この隙に帰ったり、昼休みは時間をうまくずらして長くいなくなっていたり、他の学生のほうに集中することもあるでガッチリ付きっ切りでもありませんでした。

あと研究室のパソコンはこの頃流行っていたエミュレータやファイル交換ソフトなどが動いていたりしましたね。そういうのが時間つぶしって感じでした。

あと唯一大学生らしいことがあったのもこの頃です。はっきりとは覚えていないのですが、この研究室で2回飲み会がありました。

それまで親とはよく飲んでいたり、中高から一緒だったK、Rと飲んだりしたことはありました。でもこの飲み会はノリがぜんぜん違いましたね。

これが学生のノリってやつだったのでしょう。大学生で学内ではこのときだけ楽しかったなあと感じました。これ以外は実験のときたまに話すだけで1日無言ということも多かったですからね。

これだけ楽しかったのならもっと遊んでおくべきでしたね。まあ4年がこんなに忙しくなければ、就職が決まった後遊べたのかもしれませんが。

2月に研究室が終了して、免許も取った後、ようやく開放感が出てきました。それでこの頃なんとなくその存在を知り始めていた風俗というものを初めてネットで調べます。

大学の前半くらいまでは現代日本にそんな場所なんてあるはずがない、たまにそのような情報が入ってきそうになっても、自慢の正義感から何とかそれを排除していました。

それですが、精神的にも肉体的にも疲れも出ていよいよ調べます。そしてまずは気軽に行けそうな手コキの店に行ってみることにします。

地図で調べて行ってみようと思うのですが、いざ現地に着くとあまりの怖さでとても店に入れません。店の周りをぐるぐると回ったりかなり時間を無駄にしましたがいざ入ります。

この頃は風俗に行くとなるとそれを決めた時から、考えるだけでものすごい心拍数で、前日になるとずっと勃起し続けたままというくらいのときもありました。

でも前日に射精してしまうと気持ちよさが大幅に減ってしまうので何とか我慢しようとします。この頃はほぼ毎日射精していたのですが、風俗の前は2~3日くらい我慢していくことが多かったですね。

これは眠れなくなることもあり、本当にきつかったです。風俗等に行くとなったときは、最近になってそんなに緊張しなくなったくらいです。

ここは受付を済ませたあと、部屋に入って女性を待つというシステムでした。このときの女性はすごい香水臭かったけど美人でしたね。

すぐに射精した後なぜか謝っていたのをなんとなく思い出します。これが3月でした。これ以後就職してからは風俗にちょくちょく行くことになります。

それから同時にこの1ヶ月で出会い系も少しやったかも。何も成果は出ませんでしたね。

それから2ちゃんねるについてですが、大学の4年くらいからみ始めました。地理・お国自慢と天文・気象ですね。自分と全く同じ趣味を持っている人がこんなにいるのかと興奮した覚えがあります。

でも最初は誰もが通る道だと思いますが、ぶつかったりすることもありました。鉄道や文学は以前も書きましたが、2ちゃんねるではなくて、個人のサイトでこの数年前から掲示板など見たり書いたりしています。

そんな中この頃、「逆ナンスポット発見しますた」みたいなスレッドがありました。自分はバカ正直に信じてこの場所に行って数時間待機したこともありました。もちろん何もありませんでした。

そんな日々も短期間で終わり就職するに当たって、引越しをすることになります。次からはその辺から話を進めていきます。
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前回の記事の補足を少し書いておくと官庁訪問は確か2箇所行きましたね。1箇所は説明会程度で、もう1箇所はまだ2次の結果も出ていないのに大勢出てきて面接でした。

2箇所目は自分の興味のあった統計関連だったのに、変な質問もされて一気に自分の気持ちは冷めましたね。

結局、入社3年後くらいまでそう感じていましたが、大学で電気電子系に入った時点で、製造業かソフト系のサービス業に限定されてしまうんだなと思ってかなり失望したりもしていました。

理系は給料は少なくて仕事は大変だとかですね。文系は逃げられるとか。親や教授も、理系で就職することを期待しているはずですから、文系就職とかもできませんでしたね。どちらにせよコミュ力とか、面倒な就職選考で切られていたでしょうし。

それで大学なのですが、研究室が決まってそこは自分が入学前から興味のあった、環境関連のこともやっている場所でした。

それでそこそこは面白そうと思っていました。教員もいい人でしたし。ところが、この年からある助手が入ってきていました。

この助手に関しては何度も書いていますが、最悪な人間です。30も過ぎているのに気分で勝手な八つ当たりや、止まらない自慢話。自分の考えが絶対で他人に押し付けてきます。

これを見るまで自慢話をしていても、している本人は自分で気づいているんだろうなと思っていたのですが、こいつは違いました。自慢話をして、笑うところなのかなと思って、笑って返すと、俺がすごい人間だと信じてないななどと理不尽なことを言って猛烈に切れたりします。

こういう人間が存在していること自体びっくりしましたね。まあ色々あったんですが、結構忘れてきています。例えばさん付けだと切れて、先生と呼べとかかな。本気で切れて椅子を蹴飛ばしたりとかもあったかな。

とにかく、研究テーマ決めのとき自分ともう1人がこの助手のテーマに入りました。これからが最悪でしたね。就職した後もしばらくはこの1年さえなければと何度思ったことでしょう。ほぼ付きっ切りでずっと干渉され続けました。

6月までは就活等がありある程度は逃げたり、8月に公務員も終わって、このあたりからは逃げられなくなりましたね。

そうは言っても、別の研究室よりも良かったのかもしれません。隣の厳しい教授の研究室のノートが放置されていて内容を見たら週6で徹夜して日曜日だけ帰っていたり。でも研究室によって差が大きいので、楽なところはかなり楽なようです。

最初配属時に教授に夏休みはありませんとか言われてビビッたのもいい思い出ですね。まあ週5くらいで8時間くらい行っていました。

2年で留年で脅されて精神的にやや追い詰められたりしましたが、この年と比べたら全然楽ってことでしたね。逆にこの年があったから就職してからは負担が小さかったともいえます。

ここまで最悪な人間は普通いないですからね。もしどこかに就職してこいつが入ってきたらその日のうちに辞表を出します。

この頃はお金もない、時間もないでとにかく早く終わりたかったです。自宅から1時間30分ほどかかっていましたから、自宅では寝るだけという感じです。助手に煽られ続けて終わりました。

2月に卒研発表があり、この後は一切行きませんでした。あくまで助手ですから、教授には逆らえないというところが唯一の救いでしたね。この教授も当然助手が最悪というところには気づいていましたし。

もしこの助手が主の研究室だったら人生詰んでいたかもしれません。1人暮らしの社会人なら、仕事を辞めても自分1人しか困りませんが、大学は親が出しているので、辞めるという訳にもいきません。精神的に追い詰められて自殺とか。

2月から免許を予定通り取ります。これも意外にきつかったです。みんな高校生とかで良く取りますよね。

職場は自宅から1時間30分くらいでしたが、1人暮らしをすることにします。これで自由になるかなと思ったのですが、案外そうでもなかったです。

次回は就職後の話など書いていきます。

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展示会関連の仕事や抜歯等で前回から期間が空いてしまいましたが、時間ができたのでまた書いていきます。

そんな訳で3年の後半になると就職活動関係のことで一杯になります。とにかく早く終わらせて免許を取ろうと思っていました。

親や周囲は文系が多かったし、周りの学生や先輩と話す機会は皆無でしたからまさか理系で4年の卒研は徹夜がデフォルトなんて思いませんでした。聞こえてくる情報は大学はレジャーランドとか、4年はほとんど行かないとかでした。

まあ講義も2年あたりも必修が多く、留年する人も多くいましたから、精神的にもその当時は大変でしたが、今から思うと4年の時期と比べたら本当に取るに足らないレベルでした。

就活は3年の後半からネットで見たりしましたが、とりあえず内定を取って安心しておきたいという感じであったと思います。学内の説明や、企業が来る説明会には12月くらいに参加したと思います。

最初に会社行ったのは2月くらいでしたが、ネットで予約を入れるとだんだん怖くなってこれは説明会と簡単な筆記だけだったのですが、前日緊張しすぎて眠れなくなり徹夜してしまいました。

そのためこれが終わった後、寒かった時期でもあり熱が出て、その後いくつかキャンセルしました。この会社はこの筆記で不合格となります。以前書きましたが、バイトすら怖くて電話できなかったくらいですから当然でしたね。

その後3月に入って、まあいいかなって感じの会社を見つけて説明会、1次面接と進みます。あまり仕事はしたくなかったので、ネットでの評価もそんなに大変じゃなさそうって感じでしたし。

社長面接まで行きまして、とりあえず内定は取れたかなと思ったのですが、通知が来てだめでした。公務員を受ける前にどこでもいいから内定は欲しかったのですが。

4月に入ってから学校推薦でも1つ受けましたが、ここもだめでした。ここで以前記事に書いたのですが、面接で「君は壁にぶち当たったことがないな」と言われました。学校推薦というのは、昔は取ればほぼ合格だったそうですが、この頃は不合格になるし、あまり意味はないという感じになっていました。

その後企業に関しては、学業の成績重視、面接が少ないところという基準で探していきます。コミュ力重視という企業が多い中2社くらい見つけます。

まずはK社。ここは実家からも比較的近かったし、いいかなと思いました。四季報にあった通り、学業関連重視なのか面接でも技術のことをホワイトボードに書いて説明しろというのがありました。

聞かれたこととは違ったのですが、4年の卒研でやっていたことの説明をそこそこ詳しくできました。それで初めて内定が出ました。

ところが誓約書を出すように言われます。ネットの情報を見ると入社後の研修が全国周ったり大変だとあり、あと人事の態度も内定が出た後、急に馴れ馴れしくなり何となく嫌になってきたので断ってしまいます。

それからS社を受けます。ここは面接が15分くらいで2回しかないというところに惹かれました。説明会は問題ありません。

その後1次面接の日なのですが、説明会とは別の場所でやります。住宅地っぽい場所にあり、目的の駅に降りてから分かりにくいこともあり、逆方向に歩いて行ってしまいます。

もう無理だ、諦めて帰ろうかなと思ったとき、その当時建設中のマンションがあり、そこの案内図を見て逆に来たことに気づきます。(このマンションは、後に道路を挟んだ向かい側に2年間住むことになります。)

とは言ってももう7分くらいは歩いて来て、駅に戻ってさらに7分くらいは行きますから、少し悩んだのですが戻ることにしました。

この時の決断が後の自分を方向づけたんでしょうね。2次面接では当時の役員と現在の上司に変な質問もされて止めようかなとも思いましたが、この前断ったこともありとりあえず内定を取らないと思いました。

それでここも内定が出ます。誓約書を出すよう言われて、公務員も受けることから悩みましたが、一応出しました。

公務員の試験は特別区と国家を受けました。どちらも筆記は受かりましたが、二次は駄目でした。それで新たに受けるにしても、もう探す気力もなく上で書いたS社にとりあえず行くことになります。

理系だったので大学院に行く人は多かったのですが、以前の記事に書いた通り親に出してもらっていると考えると自分の本来の生活ができないため、何とか早く独立したいと考えていました。

あまりやる気もなく、説明会だけとかも合わせると行ったのは5~10社くらいでしょうか。1次合格後に行く、合同説明会に参加し官庁訪問は1か所くらいしか行かなかったように思います。

受けたのは製造業関連でしたね。ソフト関連のサービス業はあまりいい情報を聞きませんでしたし、いいところは文系の人も加わり競争が厳しいので。

文系就職もコミュニケーション能力が求められる傾向があり止めました。結構大変であるという情報はあったのですが、どうしようもなかったという感じ。この頃から入社3年間くらいは、大学に入った時点でもう進路は決定されてしまったと考えていました。

長くなってきたので卒業研究関連は次の記事で書きます。

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2年は比較的都心に近いキャンパスでしたが、買い物とかでもそれほど行きませんでした。本屋はたまに見ましたが、お金もないので結局大きめのブックオフとかで探していましたね。

あと自分は大人が使うような言葉が結構分かりません。特に俗に使う表現とかですかね。この頃は親とは酒は結構飲む機会はありました。一人だと全然飲みませんがね。

3年は本来は2年からあとは同じキャンパスだったのですが、新キャンパスができたためにそっちに移転しました。綺麗な建物だったのでそれは良かったです。ここも1時間40分くらいかかりました。

女との関わりは4年間ありませんでしたが、1年だけはまだいくつかの思い出があります。まあ話したり関わったりまでは行きませんでしたが、こっちを意識した感じだったりする微妙な機会が。

例えば電車のホームで待っていたら目当てみたいな話をされてJKの数人に軽く腕を掴まれたり、電車で本を読んでいたら大学生っぽい数人にタイプみたいな感じで言われたり、面識のない同じ大学の人に大学に行くバスの中でかばんであそこを攻撃されて友達と見て笑っていたり、電車でつり革に捕まっていたら隣でこっちの仕草の真似をしてがん見されたり。

いくつかは思い過ごしや違ったのかもしれませんが。確実な話としては1度ノートを見せてといわれたこともありました。今だったらノートを見せてといわれてから友達作りに持って行けたでしょうね。この頃は高校と同様正義感ぶってもいましたが、女に意識は持っていました。

大学に入ってからはK、Rと数ヶ月に1回とか会った時に女の話になることが多かったです。高校は政治の話とかが多かったのですが。

高校時代は自分の方が女に話かけられる機会が多かったのですが、K、Rはどちらも大学で彼女はできていました。Rは告白されて付き合って、すぐ別れてその後は就職し連絡を取り合っていた2007年頃までありませんでしたが、Kは見た目は変わりませんでしたが、やっていることはリア充っぽくなっていました。

肉体関係っぽい話をされるとSEXは結婚するまではだめという強い信念を持っていたため嫌悪感しか持ちませんでした。

自分は2年以降女とは全く関係なくなります。それと同時に人と関わるのも嫌だったので、彼女というものも欲しいとは思わなくなっていました。

ただし、女に対しての免疫は全くなく、何度もブログに書いた内容ですが、例えば電車で隣に女が座ってくると緊張しすぎて、聞こえるくらい心拍数が上がって、あそこもフル勃起という感じでした。

正確な時期は忘れましたが、3年か4年のときにあるブログと知り合います。それがナンパ師白うさぎさんのブログでした。

このときは正直に衝撃みたいのは受けました。ナンパは現実には見たことがなくテレビでヤバそうなギャル男がやっている感じのを見たくらいでしたから、こんな女に縁の少なかった人がスマートなナンパをやるなんてと。

ただ付き合っているのにナンパをやったりするのは悪く感じました。ただ自分でやろうとは思いませんでしたね。ただこの時の衝撃は後に開花するのです。

出会い系は何度かやりました。さまざまなサイトなどで勉強してメールを出すのですが、返信自体基本はなかったですね。さらにいざ返信が来て話が続いてしまうと怖くなって自ら切ったりしていました。

無料のだけしかこの頃はできませんでしたから、ライバルも多かったですしね。まあ自分の中で人と関係を持つということに自信がなくて怖くなってだめだったということだと思います。

3年になると就職について考えさせられます。親に大学に行かせてもらっただけにこの頃は就職しないという選択肢はなくなっていました。

とにかくどこかに就職してしまえば、後は辞めるも自分の勝手だし、自由が欲しいから就職しようと思っていました。理系だったので大学院というのもあったのですが、これは避けたかった。

とにかく最低限で卒業して、その後は老後が楽しみだなというような。ただし氷河期という言葉もこの頃は飛び交っていて、面接が怖くて仕方ありませんでした。

バイトの面接ですら無理でしたからね。少しでも優位になるために資格は基本情報技術者は取りました。あと親も公務員だったし、公務員も受けることにして勉強もそこそこはしていました。

次は就職活動やムカつく助手の話などになります。

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電験3種を調べていくうちに久しぶりにやる気が出てきました。もしかしたら勉強したかったのかもしれない。今年は時間がないので無理と思っていたけど4科目あって、1つでも科目合格すると翌翌年まで免除されるのでもしかしたら受けるかも。もしやるとしたら理論と法規に集中します。恥ずかしいことに電気電子工学関連を出たのですが、電力と機械は全然分かりません。

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自分の大学生活はとにかく余計なことはせずに最小限で卒業したいなということでした。1~2年くらいは就職もしない方向で考えていたかな。

別の記事にも書きましたが、北海道の広い場所でのんびりしたいなとか考えていました。で大学生になったら自由に何でもできるんだろうなと思っていたのですが、そういう訳にも行きませんでした。

実家から通っているので特に変わったことはできずにいます。まあ行き帰りとかは途中で下車して寄ったりはしましたね。一人で小旅行というのは結構しました。何駅か分歩いて見たり、大学は山に近い場所にあったのでその山に登ったり。

基本は親とかの絡みがあって自由というのはなかったですね。あとお金もそんなになかったので、前回書いたドストエフスキーの本を買うために古本屋をめぐりました。

夏前までにある程度ドストエフスキーの本は増やしています。そして、通学途中で読み出したカラマーゾフの兄弟でしたが、通学中は集中できなかったこともありあまり進まなかったのですが、夏休みになると一気に読みきります。

そしてさらに感銘を受け、これが自分の中で生涯最高の本となりました。1~2年はほとんどドストエフスキーのことばかり考えていました。

その後1年の後期にかけて長編小説は全て読みます。2年の夏にはサイトを作ることを決意しました。もし見たい方がいたら教えます。

あとこの頃は鉄道ダイヤ関係で面白いサイトがありよく見ていましたね。そこで議論にも参加して、2年は鉄道ダイヤにも興味を持った頃でした。

高校までは結構家族で旅行とか行っていたのですが、大学になると親も金がないと言ってそれもほとんど行きませんでした。だから長期休暇中は実家のある地域からほとんど出ませんでした。

1年の頃は長距離通学で初の大学生活ということで特に言われませんでしたが、2年になるとそこそこ遠いものの1年よりは少し近いこともあり、親からバイトをしろといわれ続けることになります。

でも自分はできませんでしたね。求人広告とか見ても怖くなって電話もできなかったし色々と考えていました。2年の夏は上記サイト関連のことで自分を試すということを言い訳にして逃げていましたね。

親がこれとこれみたいな感じでチェックして外出すると、そこに電話がかけられず一日中家の中を歩き続けたりしようとして震えたりしました。そもそも短期募集というのがなかったので、長期休暇中だけのバイトがないと言って結局は逃げていたように思います。

2-3年の春になるとさすがに逃げられなくなり、一番みんながやるだろうし、自分みたいなコミュ力ゼロでも何とかなりそうに感じた工場でバイトをすることにします。

そこは履歴書を送るだけで即採用でした。季節物なので1週間の短期でやっていました。まあそこは肉体労働でしたね。

特に昼は女が多いこともあり、力仕事ばかりやらされて、筋肉痛になるはで散々でした。3年になると就職活動の関連の作業をやっていましたから、親も何も言わなくなり、結局大学でのバイト経験はこれだけです。

2年になると勉強がすごい厳しくてそれも大変でした。教員の脅しというのもすごかった。まあ勉強しない人たちに宛てていたのでしょうが、こういうのは一番堪えるのは真面目な人ですからね。

留年したらどうしようとかなり必死にもなりました。まあふたを開けてみたら大して厳しくもなくでしたね。自分の在籍した学科は130人くらいでうち女子7名くらいでしたが、全体の3割は実際留年してたみたいですがね。

KとRとはたまに会っていましたね。これも数ヶ月に1回くらいです。次回はKとRの恋愛関係など書きます。

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そういう訳で少しの変化も期待して入った大学生活でしたが、最初の新入生歓迎の場でサークル加入を逃したことにより完全に誰とも一言も話さない毎日が始まります。

さかのぼる事1ヶ月くらいでしょうか、ある本と出会います。その1年ほど前から購入していたのですが読まずになんとなく放置していました。本に関しては純文学およびオカルト関係を読んでいました。

それまでに読んでいた長編だと今思いつくので、モンテクリスト伯、ジャンクリストフ、三銃士とかが大きいのでしたね。オカルト関係だとアトランティス大陸関係をまとめて自由研究を出したら佳作みたいのに入ったことがあります。

そんな訳で放置していて大学入試も終わって暇だったので手にとった本はドストエフスキーの罪と罰でした。これは読み始めてからいきなりペテルブルグの暑さに引き込まれて、これまで感じたことのない衝撃、感銘を与えることになりました。本でこれほどの衝撃を受けるものなのかとびっくりしましたね。

大学に入った頃はですから、頭の中ではドストエフスキーのことばかり考えていた状況です。ドストエフスキーの他の作品も読みたくて古本屋に毎日寄るような状況でもありました。

哲学とかは一般教養で取っていたのですが、やはりロシア文学に転学したいとも考えたりしていましたね。そうは言ってもそのためには留年とかも必要となりそうで結局断念しました。

就職するという上では理系のほうが有利だったでしょう。ですが、もしもう少し出会うのが早ければ自分はかなり頑固に向かう方でしたからロシア文学関連に行っていたかもしれませんね。

また、良い議論をしているドストエフスキーのサイトにも知り合います。当時はここがドストエフスキーの権威という感じでしたね。自分も何度か掲示板に書き込みました。

現在は商業主義のサイトばかり目に付きます。それはそれでいいと思うのですが、ネットに関しては弊害も大きいです。例えばろくでもないものにも関わらず売るためにこれはすばらしいものですとか、サイトを作った当人は全く調べもせずにアフィリエイトで売りたいために賞賛しているものも目立ちます。

本当にいいものというのを調べるのが大変になった印象を受けます。ついこの前もレスベラトロールを買おうと思ったらそういうサイトが目立ちましたから本当の情報が得られませんでした。

あと情報商材などもそうですね。謳い文句ばかり高度化して実際は伴わなく高額なものばかりが目立ちます。

大学生活はこうして始まった訳ですが、自分は比較的道化を演じるのが好きな性格でもありました。中高は少ないながらもからかわれるとわざとボケたりとかもしていました。ですが、大学に入るとなくなりましたね。K、Rとかと会うときも少なかったと思います。

それで4月末くらいだったでしょうか、講義が終わったあと、突然ある人から何回か見かけたみたいな感じで話しかけられました。

自分からは話せませんでしたが、話しかけられると一応の応対はそれなりにしていましたね。この人とは何度か昼飯などで一緒に食べたことがありました。

あとは夢中になっていたドストエフスキー関係の話をしたりとかでしたね。でも学科が違うこともあり、やや避けていたこともあって、あまり仲良くはなりませんでした。

次はサイトを作った話など

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中学以降みんな背が高くなりたいというような人が周囲で多かったのですが、自分はそれが嫌でした。周りから高くなったなみたいに言われたくなかったのを覚えています。

そんな感じでしたが、中1から一気に増えた感じでしたから生徒や親せきなどに言われるのが嫌で猫背になりました。あとは人と視線が合うのが嫌でしたばかり向いていました。人に自分の存在を知られるというのが嫌で、見られたくないという気持ちが強かったですね。

最近でもついこの前電車内で人に見られてイラっとすることがありました。混んでいたので何とかその人に迷惑かけまいと息もかからないように気を使っていたのになぜかちらっと見てくるので。久しぶりに切れそうな感じになった。

まあこういうのは止めて、夏目さんでしたっけ?人に迷惑かけてやれの精神ですね。

それでやや脱線しましたが、その大学に行くこととなります。大学に入る時点では自由を得られるかもという期待も持っていきます。高校までは行事などで嫌な思いとかしていましたから。

大学の場所は自宅から2時間は確実にかかる場所です。それでも自宅近辺しか行っていなかったこともあり、わくわくしたこともあります。中学で鉄道研究会には入っていましたが、その頃は特に興味はなかったのですが、この頃から車両などはまったくわかりませんが、ダイヤ関連や新規路線計画、都市計画などに対しての興味が強まりました。

大学は最初そこそこの変化を期待して入りました。でも最初から人と関わる機会が全くありません。新入生歓迎みたいのが一日あって、ほかのキャンパスから先輩が来ている日があってその時あるサークルに誘われます。それで内容的にもスポーツ的でもないし、リア充中心ではなくオタっぽい人が多かったのでいいかなと思ったところ、それは週1でほかのキャンパスに行かなくてはいけないことが分かります。

自宅から全然関係ない方向に1時間30分、自分の行くキャンパスからも1時間30分かかります。親に対して負い目を感じているのにさらに電車賃もかかる、体力もないということから諦めます。

それ以後もふらふらしたのですが、リア充中心のスキーとかの人に声をかけられただけで時間ばかり過ぎていくので結局あきらめました。あとでいいかとうのと、2年で理系のみのキャンパスに行くのでその時に入れるのかなと思ったのもあります。

でもそれは後で裏切られることになります。自分のような性格の者が途中から入りたいと連絡などできず。2年は1時間40分くらいで行けるキャンパスだったのですが、2年から入るという人はいないし、コネとかがないと単独でそこを訪ねて入るのは厳しかったです。というか調べすらしていないのでわかりません。

それですぐに普通の日々が始まります。でも入ってみると予想以上に人と関わらずにいられる場であることに気づきます。教員が壇上に立ってそれをメモして、それだけという講義も多かったです。出席は取る方が多かったですが、それすらないのもありました。

スポーツは選択だったので取りません。実験も1年は基礎的なのだけだし、1年は毎回一緒にやる人も変わるので話さないままどんどん時間だけが過ぎていきました。

それと同時に大学をレジャーランドとしか考えていないような学生が目立ちます。それでそういう学生に対しての怒りというような気持ちもどんどん募っていきます。

わざと人に迷惑をかけたり、出席のために来て騒いだり、とにかくわざといきがってマナーを悪くしている連中も多かったです。それで自分は周りの学生を一緒くたに見て、絶対こういう連中のようにはなりたくないと心を頑なにもしていきます。

後でいい人もいるということに気づいていくわけですが。これが現在でもリア充のようにはなりたくないと言っていて、リア充嫌いの要因です。ああなりたくないし、どうしても抵抗があります。

この頃も分からなくても相談するということができず、自己完結していましたね。ネットもまだ従量制で時間制限だったかもしれませんが、2年に入る前後で常時接続できるようになったと思います。それでよりネットにも解決の場を求めます。

ただしこの頃はネットとは言っても個人の作っているサイトで有意義な場が数多くあり、それが中心でした。今のようなどこを見ても商業主義丸出しの場所ではありません。

自分はいい議論をしている文学や鉄道のサイトを見ていました。2ちゃんねるは存在すら知りませんでしたから、その点は良かったです。3年か4年の頃初めて気象関連のスレッドを知って見るようになり、4年の終わりから地理の板も知りどんどんはまっていきました。

そういう訳で何も話さない大学生活デビューとなりました。高校まではそれでも強制的に話させられるシチュエーションがあったのですが、それもなし。大学というのは友達ができにくい場だなと思ったのが第一印象です。それで少しはあった期待も消えダラダラと大学生活がはじまっていきました。

次回は4月の末頃、初めて学生に話しかけられた話と人生最大の本との出会いについて書きます。本は読んだのは大学に入る直前なので前後しますが、内容が多くなりそうですので次回とします

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高校の頃よく考えていたり、K、Rなどと話していたことは早く卒業して自由になりたいということでした。大学になったらなったで、今度は社会人になりたい、そして今度は老後になりたいとどんどん先を急いでいたわけです(笑)

Kと捕まって、親にも知らされた一件以後、また大人しくなります。親に言われて普通に生きて欲しいとか真っ平でしたからね。周りなども先生、親など含めて基本大学に行く人がほとんどの高校でしたから、結局は大学に行くことを決意します。

それ以外に何もやりたいことはありませんでしたし。その頃オカルトにかなりはまっていまして、中学までは地理・地学関係に進むつもりでいました。原因はアトランティス大陸やムー大陸なんて奴です(笑)

でも高校に入った頃からか、地球環境などに興味を持ちそっちも考えます。その頃の自分はすごい固い人間でした。一つには環境保護など第一に考えていました。

正義感が無駄に強く、なんとしても俗世界には入らないぞという感じ。セックス等に関しても世間が寛容になっているという情報がなんとなく入ってきていましたが、自分は結婚するまではセックスは絶対にだめである、結婚するまでは絶対にしないぞと強い決意もしています。

女性に対してはこの頃は意識していませんでしたが、Mであることもあり、女性のための奴隷となり尽くすようなものに憧れそういうことを想像して興奮していました。イメージとしてはこの頃好きだった、アーサー王伝説の世界にあこがれていました。

それで脱線しましたが、エネルギー関係にも興味を持ちます。この頃超エネルギーみたいなオカルトの本を読みさらにそれは強まります。それからさらに決意させたのがプラズマに関するオカルト系の本でした。

でも最終的にはこの高校文系が5/6、理系が1/6だったんですね。自分は周りとは違うことをしたかったし、変わり者だなみたいな目で見られたいという思いもあったので、これで理系の電気電子系に進むことになります。

世間的に見ると理系はそこまでマイナーではないのですが、この高校にいた感じだと理系は相当特殊って感じだったんですよね。これがある意味で正社員になるという意味では自分を助けたのかもしれません。就職活動は真面目にやりませんでしたから。

ただ親に金を使わせている、金がないみたいな話を聞くのがすごい嫌でしたから、まずは国立を目指します。でもだめでしたので結局私立になりました。これがより大学生活を窮屈なものにすることになります。

塾は一応親を安心させるために行っていたのですが、お金もかかるので基本的なもの少ししかとっておらずほとんどは自力でやりました。高校も文系のためのカリキュラムになっているので、3年になってやっとそこそこ間に合わせるくらいにしかなっていませんし。

そんな訳で間に合わなかったという感じもありました。自分は1日8時間とかは当時からやる気なかったので、毎日継続して2~3時間とかでしかやらないマイペース派でしたしね。

都内に行く機会については、実家は埼玉でしたが、池袋か新宿には電車で30分くらいで出れます。ですが、高校までは親と買い物に行くためなどで年に数回行くくらいでした。高校では塾に行くために長期休暇は数週間とかは行きましたね。

まあ行っても本屋を見るくらいであまり立ち寄ったりはしませんでした。大学も2年のときを除き経由しないで、神奈川方面に行っていました。ですから社会人になって一人暮らしして最初は色々と楽しめたんだと思います。

受験はセンターは予想の範囲内でしたが、やや失敗した点もありました。それで国立は無理だろうし、偏差値的には低いところに行くことでほぼ諦めていたのですが、一般受験でちょっとサプライズがありました。

数学の試験で1つ大問単位で難しくて普段はできなそうな問題が試験当日はなぜか特に迷うこともなく解けてしまいます。あれって感じだったけど時間がないので特に考えず。自宅に持ち帰ってから見てもどうやって解いたのか分からないんですよね。

それが原因なのか導かれた見えざる力なのか、火事場の馬鹿力なのか分からないけど、普段の模試とかでは若干無理そうだった大学に合格します。それなのでキャンパスも在学中に移転するし遠いのですが、センターで入れた偏差値の低い大学に行くのはもったいないのでそこに行くことになります。

KとRに関しては二人とも浪人します。Kについては中学あたりの得意げな話から、Kの兄さんみたいに(有名大学を卒業してた)直前になったら勉強して結構いい大学に行くんだろうなと思っていたので、結局こいつは最後までやらないのかって思いましたね。Kはどこもだめだったみたいです。

Rは思ったところには、あとちょっとという感じで思ったところに行けなかったのと、進路を迷っていましたね。

次回は大学での話を書いていきます。

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中高一貫でしたが、高校から新たに入ってくる人もいます。新たに入ってくる人は大体中学からの人と同じより1割程度少ないくらい。感覚的には約2倍になる感じです。

Kは人間的には中学よりもまともになってきていて、社交的な感じはさらに強まっていました。それでも中学からの人は元があるためか避けている感じでしたね。高校から入ってきた人はすでにコミュニティーができている場所に入るというのがあるため不安もあったと思います。

それでKは次々に孤立している感じの人に話しかけていきます。そのためこの時期はイベントで6人くらいで一緒に出かけたこともありました。でもそれも中学からの人からの差し金などですぐに離れていきます。あとは自分はKの知り合いに話しかけられても恥ずかしさ等で答えられずにいたことも多かったです。

Kはこの頃よく大物になりそうな発言や、兄のことを持ち出して、人生のことで余裕だみたいな発言をよくしていたので、自分は大物になるのかもしれないなと素直に思っていました。

経済のことなら何でも知っているという内容や、不動産のことなら何でも知っているというような内容でしたね。自信は結構あったんでしょう。こういう男は女にモテます。中高は散々でしたが、その通りの大学時代となったようです。

そんな感じでしたが、Kが主となって話した中で新たに2人くらいある程度仲のいい人ができます。でもうち1人はKと共に1度家にも一度遊びにも行きましたが、Kと合わず喧嘩して結局離れます。それで残ったのがRです。

このRは高校時代は大人しかったですが、時々天然ぽい行動をします。ドジって感じのことも。変わったことをするのが好きだったのかもしれませんね。主張するときは主張するので自分とはやはり違いましたね。授業でも結構自分から質問などもしていました。

Kはこの後も勉強などはほとんどせず、遅刻なども増えていきます。何とか卒業はしたけどという感じでしたね。高校のときは当時の政治などや地理など真面目な話が多かったですね。大学になってからは色恋の話が増えていきますが(笑)たまにどこか出かけたり自宅でということもありました。

親には自分がこんな風に話していると思われるのが恥ずかしくて、親がいる前ではKとRとは全く話さなくなりました。

中学3年くらいの頃ポケベルが流行りだして女子は何人か持っていました。それが高1くらいになるとPHSに変わり男女含めて3割~半分くらいは持っていた感じでした。それがさらに変わり高3では約7割の人が携帯を持っていました。

自分とKとRは持っていませんでしたね。最初に持ったのが親と連絡したりするために買ったような感じで大学1年の2001年になってからです。

高校ではKとRとはある程度話すようになりやや変わります。でもクラスはRと高3で一緒だったのを除き違いましたから、クラスにいるときと外にいるときで二面性を持つ状況となります。

それまでは自宅と学校での二面性でしたが。高1くらいではまた少し悪い方向にも向かいます。1度学内でKと盗みをしかけて、先生などに呼ばれて監禁された時期がありました。

あと当時は駅前で制服着ててもやっている人が普通にいたくらいで珍しくはないのかもしれませんが、塾に行ったときなど半年に1度とか煙草を駅のトイレ内で吸ったりなどもしたことがありました。

また親にも言われたりして結局高2からは真面目になって行きます。Kからは付き合いが悪いみたいにも言われたりします。

K子とは中学と比べると嫌がらず接するようになります。それでもほとんど話しませんでしたが、優しいというように言われたことはありました。こちらから話したことはありませんでした。

でもある朝たまたま靴入れのところで会ったので以前向こうから挨拶されていたので、このときは自分から挨拶をしてみました。多分初めてかもしれません。

それでその後数日経ってからだったか覚えていませんが、ロッカーに手紙が入っていました。完全にぼかして書いてあるのですが、好意的に読むと嫌いじゃないけど他に好きな人がいるという意味に受け取れる感じ。

当然一度も好きなどといったことはありませんし、感づかれるようなこともなかったので思い過ごしかもしれませんがね。まあK子が自分に宛てた手紙ではあったと思います。遠くのほうで友達と話しながらそれらしいことを言っていましたし。

中2から3年間一緒でしたが、高2でクラスが別れると以前書いたとおり恋心は全くなくなりなんだったんだろうなと思うだけとなります。

次に書き忘れや進路のことなどを書いていきます。

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過去の話題6
過去の話題6
いまだにブログの先月からの記事を見たらつらくなりました。まだ先月アポって終了した人を引きずっています。

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そんな訳でKと一緒に行動する機会が増えると、学年全体的に嫌っていた人が多いため悪い目で見られることも増えてきました。それでも全く知り合いがいないという状況よりはマシだったわけですが。親関係でなかよくしなさいという感じで言われていた大人しめの人にも、Kとは離れた方がいいよって言われて、それでもいうことを聞かなかったため疎遠になりました。

その人とは全然話せず無言だったため中2の初期だけ一緒に昼を食べたもののあまり仲良くはなりませんでした。イメチェン組でしたが、初期の印象が強いためから、結局かわれたりしていましたね。大学になってから一度偶然会ったときは完全にイメチェンしていて、自分からどんどん話かける人間に変わっていました。

K本人は嫌われているという自覚もなく気にしていませんでしたね。

友達というような人もある程度ほしい、話したいんだけどいざ話しかけられると自分の内側を出したり、今まで体験したことのないような世界に入り込むのが怖いとか考えたためか話すことができませんでした。それでクラスでは常に一人でいて、ほかのクラスの人とかが入って一人でいるところを見られるのがつらかったです。

そんな中一部リア充のような女子にもたまにからかわれていました。面白がって話しかけるくらいですがね。

ある時バーベキューをするイベントがあり、嫌々ながらも参加します。それは覚えていませんが何とか乗り切りました。その帰りの電車でわざと寝たふりをして一人で乗っていたら、そこそこ明るいグループで1年の時はクラスが違ったため一度も話しかけられたことのない女子の2人組が近づいてきました。

そこでからかいという感じでいろいろ話かけられます。何で話さないのとか、普段何しているのとかだったと思います。それでその電車は15分くらいなのですが、到着するまでこちらが寝たふりをすると色々周りで騒いだりしながらという感じでした。

そのあと乗り換えで別れた時、今まで一度も感じたことのない胸苦しさを感じました。それはそのうち1人に恋をしていました。イニシャルどころか…けど(笑)K子とすると、それ以後そのK子と友達何人かがことあるごとに話しかけてくるようになります。基本は話しかけられても返せなくて一方的に話しかける感じで、一言で答える感じでしょうかね。

最初の頃はこちらは嫌がった感じで接していましたが、途中からは恋をしているというのもあり、ある程度は親切な感じでも接していきます。結局K子とは高1までクラスは一緒でした。最後の方でちょっと向こうも気づいているのかなという事件もありますが、よくわからないままクラスが分かれるとそれまでの恋心はあっさりと消滅することになります。

Kはこれには全く気づいていませんでした。ですからあの女子たち嫌だなという感じで言ってくるくらい。たまにKと遊んでいると女子たちが入ってくる時がありましたが、それもKは嫌がっていましたね。自分はK子がいるためよかった訳ですが。

もう1人ちょっと気になってきている女子がいます。こちらはかなり大人しくて話しかけてきたことはほとんどありません。でも彼女は親にうちの母親に何でaiueが話さないか聞いてきてほしいと質問したそうです。それを母親に言われてちょっとびっくりしたのですが、不思議に思っていたのでしょうかね。

それからちょっと意識しましたが、数回話かけられたくらいでしたね。あと1回学内の廊下でたくさん人がいたときにいきなり背中を叩かれてaiue君~(忘れました)と言われたのが印象に残っています。大人しい女子でしたから驚きましたね。人気は結構ありました。それ以後高校ではほとんど絡まなくなりましたが、最近あるSNSに登録していることが分かりました。個人情報とか入れると、親兄弟とかもやっているのでバレたくないし、連絡取ってみる気はないのですが。

次は高校でのことについて書いていきたいと思います。

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過去の話題5
過去の話題5
シヴィライゼーション2は攻略サイトとか見てうまいやり方も色々ありました。4が評判いいみたいなので、だいぶ2はやったので、4を購入しました。これから少しやっていくつもり。
ナンパはせっかくスポーツクラブを変えて、ナンパをやる時間空けたので、今後は毎週金曜日の夜はできるだけ出て行きます。バーナンパもやるなら金曜日の夜とかがOLさんは多いでしょう。

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Kと仲良くなったという感じで書きましたが、基本中学はそんなにうまく行っていたわけでもありません。特に最初はわざと話しかけられても無視したりなどもしたし、喧嘩のようになったこともありました。それでも終盤ははクラスは違うもののKとはある程度は話す感じにはなっていたと思います。

でも自分は変わろうとか人と交わっていこうという考え方はありませんでした。中学ではイメチェンする人が途中で何人かいました。最初は大人しくて友達もあまりいなかった人が自分を変えて入り込もうとする感じです。

自分は一人だけ休憩時間に一人で座っているところを見られるのがすごい辛かったのですが、そういうイメチェンする人がいたりすると、席に一人で座っている人が数人はいると安心なのが、一人になってしまうというのが嫌でした。でもそいうイメチェンする人はその時点では自分の中では特になんとも思わなかったし、自分がそうしようとは思いませんでした。

自分は最後になっても殻を割らずにこのまま乗り切ってやるという気持ちが強かったです。小学生から変わっていませんが、このころもみんなが左の方向に向かっていくと、自分はわざと一人だけ右の方向に向かって行ったりというのもしたことあったし、相談せずに勝手に自己判断でやることも多かったです。これは今でもたまにやってしまって怒られる事があります。

記憶力は大変良くて宿題を忘れるとかいうことが考えられなかった。わざと面倒だからやらないというのは何度か経験ありますが、本当に忘れるという人が出るのは理由が分からなかったですね。今は酷くなってしまいやろうとしたことがわからなくなってしまうことが多々ありますが。

そんな中中学に入って少しの頃1人の女子がなぜか気にしてきます。話しかけてきたりそれなりに話す人だったので周りに向かって自分のことを話してきたり。自分のことが好きだみたいな感じでも話していた。冗談だと思っていたしその人は避けていました。それから行事で旅行に言ったのですが、そのとき何人か男女のグループ一緒になっていろいろ話しかけられて確かバスの中でだったと思いますが、aiue君付き合ってくれないとも言われました。

自分はその頃は全く話さなかったので、そのまま一言も話しませんでしたね。それから何人かにからかわれたりはしましたが、その行事は終了しました。自分はこの頃はこの女子のことはなんとも思っていませんでした。それなので何か言われても気にしませんでしたね。というか後になってこのときはこうだったのかなと思い出すような鈍感な感じでした。

帰ってからこの女子から電話が自宅にかかってきました。この頃はどこも固定電話しかありませんから当然自宅のです。そこでごめんという感じで言われたのですが、何でごめんと言われたのか良く分かりませんでしたね。それまでもからかわれたりは良くありましたから。

親にも聞かれて正直にごめんと言っていたと言ったら勘違いされましたね。まあそれ以後全くこの人とは関わらなかったのでみんな忘れましたが。この女子はある程度男子からは人気が有りましたが、2年以降からだんだんとギャル化していき高校含めて二度と話すことはありませんでした。

その後もある程度女子のリア充グループからはよく話しかけられました。やはり全く話さないという謎の多い人間は気になるのでしょう。それから2年でクラスが一緒になった人に対して生涯最大の恋をすることになります。次回に続く・・・

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過去の話題4
過去の話題4
一人切れて、また以前復活した人にメールしたらそんなに反応がいい訳ではないけど一応返ってきました。自分は同時進行という器用なことはできないし、一人ずつやっていこうと思います。

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それで中学の話ですが、本当に話さなかったです。先生とかに指されて答えるという場面を除くと一言も話さないということが多かった。何か行事とかでチーム分けとかするのが辛かったですね。強制的に決めてくれるならまだいいけど自分で決めなければならないのが特に。

話しかけられたりすると嬉しいんだけど、でも自分を出せないというジレンマ。かといってリア充グループとは絡みたくなかったです。小学生のときのような影で悪事をするグループとも遠かったです。中学はかなり優等生っぽく振舞っていましたから。

一番絡みやすいというか組みやすいのはオタクグループでした。でもオタクグループはグループで集まって面と向かってはありませんが、影で自分の悪口とか言っていたりしてそれが結構辛かったというのもあります。さらに自分はアニメなどほとんど見ないし、漫画もほとんど読まなかったので、余計オタクに対するコンプレックスが強くなっていったのです。

だから秋葉原系とかアイドルを追いかけているような人には今でもコンプレックスが一番強いです。秋葉原も電子部品などある場所は仕事関係でも行ったり好きですが、それ以外はコンプが強い。

そんな訳で自分が組みたいのは群れから外れた羊タイプっていうのかそういう感じでした。ところが自分の学年にはそういう人がなぜかいなかった。前後の学年にはそれなりに見るんですがね。クラブ活動は中学は鉄道研究会でした。これはあまり活動なかったです。あるのは長期休暇に旅行に行くとかでした。でも大学くらいになって鉄道に乗ったり、ダイヤを見るのが好きになっていきますが、これは後で書きます。

でも中学1年の終盤辺りである人と知り合います。この人は普通に話しもするし、むしろうるさいくらいなんですが、なぜか周りに嫌われて群れからはぐれた感じです。大学ではリア充化していたので、本来はそこそこなんでしょうが、一度みんなから外されると中高一貫でしたからもう元に戻るのは難しいというのはよく分かる事例です。

まあ性格的にもこの頃は問題あったのも事実ではあります。仮にKとしましょう。このKとたまたま帰りの電車で会って向こうから色々と話し掛けてきたように思います。これ以後あまり絡まなかったのですが、その後もある程度気にはしていました。その後学年全体で2人組をするときにも確か一緒になって、それ以後それなりに話したりするようになったような気がします。

そんな感じで詳しいところまでは覚えていないのですが、確か中学の時も数回家に行ったり来たりということもありました。基本的にはドラクエ等のゲーム系やトランプ将棋等をやっている感じでしょうか。身なりとかはあまり気にしてなく、スポーツは平均くらいだけどサボったからか部活動は止めていて、勉強はすれば並くらいなのかもしれないのですが、やらないという感じでしたね。宿題などもあまりやらず、高校では結構遅刻なども多かったです。

その後高校に入ると、中高一貫とは行っても新しいメンバーが半分近くは入ってきます。それでこのKが新たに入って最初馴染めなかった感じの色々な人にどんどん話しかけ、一時は6人くらいで一緒に行動したりする時期もあったのです。ただ結局は1人加わって、3人だけが残って行き、これ以後大学生になって数回、社会人になって3回ぐらいは会いました。まあ中学時代はそんなに深いというところまでは行かなかったけど、たまに話したりというくらいの感じだったように思います。

ちなみにKとは同じクラスになったことは6年間で一度もありませんでした。ですからクラスでは一言も話さないという感じですね。

次回は恋愛について書いていきます。

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過去の話題3
過去の話題3
最近は精神的に辛くて乗り越えられなくなっています。
とりあえず過去の話題を進めます。

そんな訳で小学生のときは私立に行っていたので周りが金持ちばかりで劣等感を持ち、親にもあまり買ってとかはいえませんでした。中学受験は受けたんですけど、周りも自分もそれなりに行きたいなと思っていたところに合格することができました。家からは徒歩も含めて30~40分くらいです。

それで合格したらなんでも買ってくれるといわれていたのでこのときSFCとパソコンを買います。このときは1995年の3月くらいでしたから、まだWindows3.1でした。でもこれのおかげで、パソコンの裏側とかは色々見ることができたと思います。3.1はそれ以後と比べるとコマンドなどとも触れる機会が多かった。スペックはCPUは66MHz、ハードディスクが500MB程度、メモリーが8MBだったと思います。

パソコンに関しては小学生時代に持っていた人がいてその人がゲームを作っているみたいな話をしていたから欲しくなったのですが、それはできませんでした。何を使ってやっていたのか分かりません。自分は人が何か持っているとすぐに欲しがる性格でしたね。

それからそのパソコンは色々と勝手に触りまくって2年で壊します。リカバリディスクを初期化してしまってパソコンの方もデータが消えたとかそんな感じかな。エスカレーターのスイッチじゃないけど自分は何でも試してみたくなる性格でしたから。最初の機械は20万以上したんですが、2年後に買ったときはある程度普及しだして一部安くなっていたので10万ちょっとで買えました。

それで中学に入ったのですが、ここでは最初にずっと何も話せなくてそのままずるずる行った感じでしたね。小学生は昼食は強制的に班みたいのを作ってだいたい6人くらいだったと思いますが、一緒に食べる人がいました。でも中学はそんなのありません。ですからこの頃から孤立する辛さというのを味わうことになります。

ただし先生が一人で食べている人をなくせみたいに言ったらしくて最初入学して数ヶ月くらいは一緒に食べていたこともありました。でも話しかけられると恥ずかしくなってしまい、一言も話せずに悩んでしまうのでその後は常に一人となります。1人でいるところを見られるのはすごい辛いのですがどうしようもありません。

周りがちょっとからかって話しかけられたりするのは嬉しかったのですが、でも入り込むことはできなかったですね。何で話さないのとか聞かれたこともあってその時もずっと黙っていたのですが、あるときに1度面倒だからと答えたこともあったけど、それも一理あったのかなと思います。自分が傷ついたり新しい世界に入り込むのが怖くて、面倒で話せなかったのかもしれません。

この頃好きだったのは福音館書店だったかの海外作家の本とかでした。あとはサイコロを振ってどの目が出たか全部記録していったりとかでしたね。あとドラクエの鉛筆を転がす奴とか。20面サイコロについては最近はやっていませんでしたが、社会人になってからも何度かやりました。ゲームはSFCのソフトを中古で買って色々やりましたね。そんな中でやはりDQシリーズで一番好きなのは新作で初めて買ったDQ6なのかも。

オナニーは中1で初めてやります。パソコンはあってもネットはまだありませんでしたから、保健の教科書とかで見てもうできてもおかしくないよなとやるのですが、全然できません。この頃は刺激をするというのは袋の方だと思ってやっていました。

でもあるとき自宅に週刊誌が置いてあってそこに書いてある文章を見ているうちに興奮してきます。それで自然とあそこを床にこすり付けていたんですね。そしたら射精。これが初の体験でした。それからも同じ方法で何度かやります。であるとき風呂場でもっと簡単にできる方法に気づいてその後に至るって感じでしたね(笑)

長期休暇は自転車で近所を遠出して見るとかが好きでした。基本中学は安定していた時期です。成績は自分のなかで7割くらいできると安心してやらなくなってしまう性格から、上位3割とかその辺だったと思います。悪いことをしたというのはないですが、自転車で行く途中コンビニでエロ本を買ったというのが数回ありましたね。それくらいかな。

中学からスポーツテストをやったのですが、自分は全国で見て常に一番下のランクでした。数%しかいないので、体力に関しては自分は本当にだめってことなんでしょう。怖がりで幼少期何もやらなかったことや元々の体力のなさからでしょうかね?

でまあそんな感じなんですが、次回は少し仲良くなれる人が見つかった話と、生涯最大の恋愛について書いていきたいと思います。

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性格や趣味の話になるととにかく自分は臆病でした。木登りや危険なアスレチックなど怖がってやりません。遊園地の乗り物なども乗れませんでした。母親も危険な物に触ると怒る人でした。包丁とか絶対に触らせないし危ないからだめって感じ。

好きなことは機械や数字みたいなものが好きでした。エスカレーターの横にあるスイッチが気になっていて、一度はそれを実際に押して止とめてしまったこともあります。数字に関してはすごい記憶力がよかったです。今は全然覚えられないのに、なぜかいまだに小学生の時の同級生の電話番号が忘れられません。数字がイメージとして形になってしまった感じですね。今はその能力もないのに(笑)

妹はそうでもなく、結構挑戦したりすることもあります。でも遊びはよくして、だいたいぬいぐるみやテレビゲームとかでしたね。テレビゲームに関してはそれほど抵抗なくやりましたが、あれ買ってなどとは言えません。ですから小学生時代はずっとFC、中学でSFCを買ってから大学まではそれだけでした。

ドラゴンクエストシリーズは最もやりました。小学生時代には2、3は挫折したので1と4だけクリアしてます。それで4の攻略本は数字が多く好きだったこともあり、現在もありますが、全ページがバラバラになるほど隅から隅まで読んで暗記していました。同級生でも仲が良かった人はDQ好きはいて、人数は少ないながら小学生時代は家で一緒にやったことなどもありました。それ以外だと妹はアクション系が好きなのでそれをよくやっています。

テレビ番組も一般の男子が見るような番組はほとんど見ていません。これが見たいと言って自分が権利を取ることが恥ずかしかったなどということもあります。ですから妹が見ていた少女アニメとかはある程度見ていました。音楽もそのころはほとんど聞いていません。MP3が出てから個人で聞くようになったくらいです。

本はそれなりに読んでいました。小学生の時は江戸川乱歩とか冒険系のでした。中学になるとジュールヴェルヌ、を始め海外のをよく読みました。人があまり読んでなさそうなのを読みたいという気持ちでした。

あと自分は絶対に人と同じようにはならないぞという決意みたいのもありました。人がAという方向に行ったらわざとBの方向に行ってみたりする人間です。これは主に中学以降ですからまた別途書きますが、イメチェンとかも忌み嫌っていました。方向を間違えてもそのまま引き返さずずんずんと行く感じです。父親もそうでしたね。道を間違えてもどんどん行ってしまいました。

それですが、前回の記事で書いた事件の後だったか、色々と先生に呼ばれたりした後だったか、母は普通に生きてほしいんだと言って泣いたりしていました。それに対して根幹ではやや考えも変わってきた部分もありましたね。ただ基本的には人と同じことは絶対にやりたくない、でも大きな問題などは起こさず優等生のようにしていきたいという気持ちも出てきます。こんな感じで中学は完全に安定した時期となりますが、これに関しては次回書きます。

小学生時代も人に注目されるのは苦手でしたが、ごくたまには手を上げたりもしていました。中学以降はさらに、性格としては、自分という存在が周りに知られるのがすごい嫌でなんとかして隠して生きていきたいというのが強まっていったと思います。

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過去の話題1
自分が人のブログを読む中で熱中して面白いなと思うのは過去の話、幼少時代、学生時代こんなことをしていたんだという振り返りの記事だったりします。

それですので自分も幼少期からの思い出も含めて過去の話題シリーズとすることにします。でも文章は下手なので他の人のように読み入ったりすることはないかもと思います。

自分は幼少期はIQとかになると平均よりは少し良かったくらいでしたが、やや知恵遅れみたいなところもありました。例えばひとつの言葉を覚えると、人から何か聞かれても馬鹿みたいにその言葉ばかり連呼したりもしてました。特に語感の良い言葉が好きでしたね。それは成長したねとか、大人になったねと言われるのが恥ずかしくてそれを隠すという意味もあったように思う。

靴も大きくなったと言われるのがすごい嫌でわざと小さめの靴を履いてきついけどそれを我慢していました。今でも靴のサイズが体系と比べて小さいと言われます。背もそうです。背が高くなったと言われたくないので、いつも背中を丸めて歩いていたので今でも背中が前に曲がっています。それくらいシャイでした。

家族はそれなりに仲がよく旅行とかは結構行っています。遊ぶのも小学生も私立に行かされていたためか、だいたい妹と遊んでいました。

幼稚園ではやはり友達はいませんでした。でもたまに同級生と一緒に遊ぶと楽しくてそれは後になっても記憶となって思い出します。小学生は入ったときに親絡みも多少あって一応友達と呼べる人も何人かいました。それですが、話すことは上で書いたとおり同じことを繰り返すようなことが多かった。

あといじめられる経験はほんのたまにあったものの基本はなかったです。逆に自分が人をいじめるというのも結構好きな性格でした。でも気などは弱かったので直接するということは少なくって感じでしたね。それですが、小学生3年生のとき軽くいじめられて、自分は結構切れたり極端なことをすることも多かったこともあり、帽子についていた金属の校章を投げつけました。でもそれが当人から外れてあろうことかその学年で番長だった女子に当たってしまいます。

それから向こうが切れてそれからしばらく追いかけられ続けることとなります。この頃は最悪でしたね。クラスの3分の1くらいは見つかると攻撃してきます。

体調を原因にして合わせて20日くらいは登校拒否でした。でも親にはそれが恥ずかしくて言えず体調体調と言っているのですが、それもだんだんばれてきて、学校変わるかみたいな話にもなった。この頃は家を出ても学校まで行けず途中でずっと座っていたこともありましたね。親が学校まで車で送っても学校に入らず校門の辺りでずっと立ち止まっていたことも覚えています。母が泣いたとかで保健室にずっといたら伯母が迎えに来たこともあった。

でもそれも時間が解決しました。長期の休暇だったか何かがあった後何事もなかったように落ち着いていました。この学校はこういう問題とか結構多くて学年で5人くらいはいじめとかで辞めて行きました。えっ何で辞めるのって人もいた。自分も言ったことがある言葉が原因で傷ついたみたいな感じでやめていった人もいました。

小学生でも主流派の生徒達には嫌われていました。それは自分がよくいたずらとかもしていたからです。例えばトイレの水を溢れさせて水浸しにしたり、屋上からチョークを投げつけたり、火遊び、万引きなどです。それなので結構先生にも目を付けられていましたね。くだらないことで悪事を働いたりするのは好きでした。

小学3年生の時から塾に行き始めたのですが、ここでは周りの生徒と一度も口を聞きませんでした。なぜか分からないけど話せなかったのか、面倒な人間関係を避けるためなのか。どっちもだったと思います。恥ずかしいというのと面倒だから話さず楽したいというのと。

恋愛は幼稚園では名前が好きというだけで一人の女子に好きみたいな感じで言ったことがありましたが、それは嫌がられるだけだったと思います。本当に好きというよりは語感、音感みたいななのこだわる人間だったのでしょう。

小学生では一応好きと感じる人はいました。最初は誰が好きなんだよと言われて特にいなかったので適当に名前を挙げていましたが、本当に好きな人ができた。高学年ではまた別な人が好きになりました。その人はいつも自分が悪口を言われたとき助けてくれていたんですが、なんかひいきもしてくれるんですよね。それで好きになりました。もしかしたら向こうもと思いたいですが、多分ないでしょうな。

自分はその頃暗い集まりかつ、変ないたずらをする。スポーツは以前も書きましたが、とにかくできませんでした。クラスや学年でも最もできない一人という存在です。

では次は残りの生活や中学生以降について書き進めていきます。


プロフィール

Author:カラマ
極度のコミュ障カラマが新卒で入った東証一部上場企業の設計開発職で鬱病を発症。無職、フリーター期間を経てビルメンに転職も退職。専業投資家を目指すブログです。
質問、感想などどんなことでも気軽にコメントいただければ嬉しいです。

株資産の推移(資金を途中で投入しています。実際の収支は「収支」カテゴリの年間収支で見てください。)
2010年末 899,454円
2011年末 938,944円
2012年末 1,565,099円
2013年末 4,051,824円
2014年末 4,414,314円
2015年末 4,368,802円
2016年末 5,416,168円
2017年1月末 6,926,739円
2017年2月末 7,412,257円
2017年3月末 7,772,879円
2017年4月末 8,225,970円
2017年5月末 8,247,641円
2017年6月末 8,944,869円
2017年7月末 9,383,999円



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